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飽馬神社

飽馬神社(あくまじんじゃ)

鎮座地
西上秋間1851番地
主祭神
大日命・倭建命・豊受毘売命
創建
景行天皇の御宇
祭典日
春祭 4月1日
秋祭 10月15日
芸能
境内に神楽殿があり、昭和十年頃まで鷺宮の太々神楽を招き春祭に奉納していた。
由緒
当社は、安中市西北の山間部に位置する東上秋間の鎮守で『上野国神名帳』従三位飽馬明神と記される古社である。鎮座の由来は、倭建命(日本武尊)御東征の時、この伊勢森に憩い御馬に飽かせ給いて、伊勢の大神を祀り「飽馬ノ神社」と称し鎮座した。『和名抄』にも「飽馬 安木末」とあり「秋間」の地名の起こりとされている。
秋間にはかつて「秋間七騎」と呼ばれる武士団があり、『吾妻鏡』にも飽馬太郎の名も見え、武門の崇敬の厚い神社であった。
南北朝時代には、「貞和正平の乱」によって一時社殿が衰廃したが、応永二年(一三九五)三月、真砂淡路守の尽力により再建された。この時、倭建命を合わせ祀り御偉功を顕彰した。その後、慶長年間には、井伊兵部少輔、永銭六貫の奉納があり、明治以降も倭建命に肖り、武運長久の祈願が大いになされ、社額に「源朝臣希典(乃木希典)書」が掲げられている。
また、早くから復古神道が強く影響し、氏子の大部分が神葬祭にて祖霊祭祀を行う地域ある。
尚、字平に鎮座していた鹿島神社は『上野国神名帳』従五位鹿島明神と記され、明治期に合祀されている。
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