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太々神楽

咲前神社に伝わる神楽は、伝承によると文化12年(1815)に石原(現高崎市)の小祝神社から伝わったとのいわれ、それを証明するように神楽殿正面に掲示されている奉額には「文化十二年」の文字がある。
小祝神社から神楽を習うようになった経緯は不明だが、小祝神社から指導にやって来た神楽師たちには、宮本の神楽を習う人の家に分宿してもらって指導をお願いしたという。しかも「宮本の人達が熱心に習ったので教え甲斐があった」と、小祝神社の神楽師にいわれたとも伝えられている。文化12年の額はこの時に上げられたものと考えられる。

(1)猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)

天孫邇邇芸命が日向にくだる時、天の八衢に迎えて高千穂の峰まで案内し、道案内の神とされる。道祖神などにまつられているのは、この神である。

(2)伊佐那岐命・伊佐那美命(いざなぎ・いざなみのみこと)

この神々は男女対の神で、天神の勅命を受け,神をはじめ国土、山川、草木などの自然物いっさいを創った。まず高天原から天浮橋をくだり、玉矛で海中を探り、矛の先から垂れた塩で固まった遊能碁呂島に上陸し、御殿を立て、天の御柱なる神の座を設け、天神の照覧、加護を注いで国を生みをなした。

(3)鹿島大神・香取大神(かしまおおかみ・かとりおおかみ)

鹿島大神は建御雷命で、邇邇芸命の降臨に先立ち、経津主命とともに出雲の大国王命・諏訪の建御名方命らを従わせた。
また、神武天皇の東征にさいし、剣をさしだして神功をあらわした。
香取大神は経津主命で、咲前神社にも祀られている神である。

(4)細目命(うずめのみこと)

細目命は、天照大神の岩戸にかくれたとき、岩戸の前で神楽を舞い、集まった神々を笑わせて、ついには、大神まで岩戸から誘いだした女神である。
細目命の舞は、神楽の起源とされている。

(5)誉田別大神(ほんだわけのみこと)

応神天皇のことで、「誉田」とは、天皇のお生まれになった地名をさす。
仲哀天皇の皇子で、母は神功皇后とされ、軽島之明宮において天下を治めた。

(6)稲倉大神(いなくらおおかみ)

食糧品いっさいの生産にあずかる神。保食神を同一神。月讀命は、天照大神の命を受け、人間の食料を求め、摂津国にくだり保食神に会う。
神が口から数々の食料を出して饗応したところ、月讀命はきたないものを食わすと怒って、保食神を殺す。その死体から、牛・馬・蚕・および五穀を生じたと伝えられる。天照大神はこれから国民の食料とした。

(7)天津摩良大神(あまつまらおおかみ)

天照大神が岩屋にかくれたとき、岩凝姥命の隷属により、この鏡を作った神。

(8)両刀(りょうとう)

三種神器の一つ。景行天皇の世に、日本武尊がこの剣を奉じて東夷征討に向かった。
駿河の焼津にきて賊徒にあざむかれ、草原の中に火を放たれたが、この剣で草をなぎ払ってことなきをえた。

(9)天狐(てんこ)

天狐は稲荷神といわれ、増産・子孫繁栄・五穀豊穣の神。
春、農耕の節に山から下って田におり、秋、収穫の節をもって山に登って山の神をなる。
こうした農耕的な性格から、宇迦之御魂神にあって、保食神・宇迦売神・豊宇気毘売神などと、同一神とされる。

(10)松尾大神(まつおおおかみ)

酒造りの神で、日本書記には木花開耶姫が彦火火出見命を出産するとき、その祝いに自ら「あまのたむざけ」をかもしたことある。

(11)素佐之男大神(すさのおのおおかみ)

高天原を追放された出雲にくだり、櫛名田比売の命を救うために、山岐大蛇を退治して、「あまのむらくもの剣」を得るとともに、須賀宮で櫛名田比売と成婚する。

(12)事代主命(ことしろぬしのみこと)

大国主命(出雲の国を治めていた神)の子。
ここの場面では、事代主命が漁の安全と大漁を願い最後に訪れた人々に供物を与えて舞う。
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