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中野谷神社

中野谷神社(なかのやじんじゃ)

鎮座地
中野谷3069番地
主祭神
建御名方命・速玉之男命・伊弉那美命・事解之男命
創建
慶長年間(1596~1615)以前
祭典日
春祭 4月1日
秋祭 10月15日
芸能
黒熊流獅子舞十二庭。太鼓銘に文久三年(一八六三)とありそれ以前の伝授と推定。昭和五八年(一九八三)以後休止。
由緒
当社は、「諏方大明神 熊野三所大権現両社」の二社並立で鎮座し、往古、上野国神名帳従五位上、下田明神が合祀されたと伝わる。比定地を字下田もしくは字松原とする説がある。
また当地は、中野谷陣屋と呼ばれ、慶長年間(一五九六~一六一五)秋元長朝氏が二千石で当地に封ぜられ、慶長七年に総社に転封した後、屋敷跡に清元寺が創建し、山号を熊野山としている。
明治四年(一八七一)に「熊野大神 諏訪大神」となり、明治一一年(一八七一)に中野谷神社と改称された。明治二四年(一八九一)に拝殿が焼失し、明治二六年(一八九三)再建された。
中野谷は、古来より一之宮貫前神社の式年遷宮に、竹と縄を納める慣例があり、往古咲前神社より一之宮貫前神社へ御遷宮の際の神事に関係ありとする注連引原、明戸の地を有する。
明戸の地名説話に「大古信州諏訪明神健御名方命香取明神軽律主命(ママ)ノ命ヲ奉ゼズ命大ニ憤リ自ラ大将軍トシテ之を征ス鹿島明神之ニ副タリ榎下明神(原市町ニアリ)及ビ咲前明神北甘楽郡神成宇藝明神之ニ属シ荒船山ニ出陣セル時暫時鷺宮ニ滞在シ後注連引原ニ移リ払暁此地ヲ出デ明戸ニ至リテ夜明ケレバ之ヨリ明戸トハ云フナリト天ノ戸明ケシ意味ニモヤアラン」とある。
付近は中野谷地区遺跡群があり、古代祭祀遺跡や牧の存在が注目される。
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