大森神社(おおもりじんじゃ)
中秋間七四一番地
大荒希女命
寛永三年(一六二六)以前
春祭 四月一日
夏祭 八月一日
秋祭 一○月一五日
境内に神楽殿があり、かつて行われていた。
   
 
 
鎮座地、秋間の歴史は古く、『和名抄』に「飽馬 安木馬」とあり、鎌倉期、『吾妻鏡』元久二年(一二○五)六月廿日の条に安達景盛従者として飽馬太郎の名が見える。弘治年間(一五五五〜五八)に「秋間」の文字になり、慶長八年(一六○三)に東、西上秋間、中、下秋間の四村となった。当社は、もと秋間川辺の字宮貝戸に鎮座し、飽馬神社と称していたが、大洪水により社殿が三町余川下の女男石に留まり里人が樫木に繋ぎ、傍らの現在地に遷座し、大森神社と改称した。社伝に上野国神名帳従三位飽馬明神と主張する。慶長年間(一五九六〜一六一五)、井伊直勝より 永銭六貫文の奉納があり、更に寛永年間(一六二四〜一六四四)、水野元綱により反別四反歩を免除される。
 市内に飽馬神社は、西上秋間鎮座を始め、かつて同字般若沢(正治元年創建)にも鎮座し、東神社も旧は飽馬神社諏訪明神と称した。棟札に寛永三年(一六二六)のものがあり、大工小藤金左衛門、石井久四郎とある。また正徳二年(一七一二)に吉田家より正一位の宗源宣旨を受けている。明治四○年(一九○七)、諏訪神社、石神社、八幡宮、金山神社、神明宮、大山祇神社、蚕神社、八坂神社、稲荷神社、疱瘡神社が合祀された。

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